2020年3月29日日曜日

長いこと長椅子に座っていたはなし

今まで、M上H樹さんの本を一度も読んだことがないのです。
雑誌などに連載されている短いエッセイ程度は読んだことがあるかもしれませんが、ほぼ記憶にないので、読んだことはないと言ってもよいでしょう。

昨年、本屋さんで小説の書き方的な本がある棚を眺めていたところ、M上H樹さんの作品を参考に、M上H樹的文章の書き方が書いてある本を見つけました。
これを見ながら、アラスカの話を書いたら、それっぽい面白い話が書けそうだと思い(個人の感想です)、その本を買ってみたのです。

無理。アラスカのことはまるで書けない。

でも、ちょっとした日常の体験をヒマにまかせて書いてみたら、なんか良い感じ(個人の感想です)。
妙に回りくどく長い説明を挿入すると、それっぽくなるのかなと思い(個人の感想です)、長々とくどい説明を入れてみました。
M上H樹さんとは似ても似つかぬ、ただの回りくどい面倒臭い文章になっている可能性が高いですが、許してくださいね。何しろ未だに読んでないのですから。

※その解説本を読んでわかったことは、なぜ、回りくどい説明の多い軽快で難解な文章を書く人が(個人の感想です)ノーベル賞候補として多くの人たちに期待されているのか僕にはよくわからんということ。実際に読めば、きっと納得がいくのでしょう(上記の通り一作も読んでおりません)。

文章には、それっぽい題もつけてみました。
それでは、始めます。

「目に見える空腹、水琴窟と長椅子」

もし、君が一日中病院にいることになったら、いったい何を持ちこむと楽しいと思う? そんなことを考えながらトイレの前の長椅子に腰を下ろしてから既に30分ほど過ぎている。そもそも「君」とは一体誰なのか。それは退屈が生み出した、男でも女でもない、お寺の本堂に漂う線香の煙のように、うっすらと僕の頭の中に漂う、妄想の人なのだ。
僕が小学生の頃の図工の時間に使っていた水色のプラスチック製の絵の具箱には、紙製の箱に入った、ぺんてるの12色の透明水彩絵の具が入っていて、その鉛製の小さなチューブには、中の色と同じ色が印刷された紙の帯が巻いてあった。今、僕は、水彩絵の具のチューブに巻かれた平仮名で「ぐんじょういろ」と書かれた紙の帯と同じような濃い青色をしていて、今の小学生が体育の時間に履かされる短パンのようなものを履いている。
いや、正しくは履かされていると言うべきだろう。自分で選んだわけではなく、サノさんの持ってきた大きな白い袋の中、透明な薄いビニール製の小さめの袋にそれは入っていて、サノさんはビニール製の袋を破いて短パンを取り出すと、お尻の部分に開いた穴を指差し、
「こちらを後ろ側にして履いてくださいね」と白いマスク越しに言うのだった。
もし、僕に尻尾があるのなら、その穴から尻尾を出せるようになっているわけだ(僕に尻尾なんてものはないが、毛は3本以上少ないと思う)。そしてその短パンは、薄い紙袋のようにごわごわした、不織布と呼ばれる、布のような紙のような、あやふやなものでできているのだ(不織「布」と言い張っているのだから、「布」で良いではないか、とは言わないで欲しい。ごわごわした感じが紙のようなのだ)。

サノさんにぐんじょういろの短パンを渡されるまで、僕は何度も個室に通い下方へ噴出する間欠泉を噴出させていた。
しばらく座っていると、ぐるぐるとした刺激が下腹部に現れ、その後15秒ごとに数回波がやってくる。
3回目に個室に入り、刺激が現れるのを待っていると、下から樹脂製の小さな間欠泉が現れ、まだ何もしていない穴を洗い始める。
「え? 何? まだ出てもいないぜ?」とつぶやきながら慌てて壁際に固定されている箱の停止ボタンを押す。 
3度目の自前の間欠泉が噴出し終わった頃、細長く水に溶けやすい薄い紙を手に巻きつけながら引き出しているカラカラと言う音が、背後の個室から聞こえて来た。しばらくの沈黙。突如、薄く茶色い液体で満たされた自分の真下にある滝壺は、急に勢いを増して全てを流し去ってしまった。
「え? 何? まだ終わってないぜ?」とつぶやきながら、次の間欠泉の脈動を待つのだった。
背後の部屋からは滝の音に続き、ズボンを引き上げる衣擦れの音、ベルトの金具同士がかちゃかちゃとぶつかり合う音が聞こえ、やがて僕の個室の横を通り過ぎていく人の気配。
どうやら、背後の個室の無線式の制御装置が自分の個室の機械に作用していたらしい。背後の個室から人の気配がなくなると、勝手に尻を洗われることもなくなり、勝手に流されることもなくなった。
 そんなわけで、この先も我慢できそうもない便意が5分ごとにやってくるに違いないという確信のもと、トイレの前の長椅子に座っているのだが、強い便意は、既に過去の思い出となり、僕の意識に現れることはなくなっていた。その代わり、昨晩、雑炊を食べて以降、何も食べていないということを、自分の腹に気が付かせないようにすることが、大切なような気がしている(気のせいか次第に腹が減ってきているような気がするのだ)。
もし、液体も食べものであるというのなら、脱水症状を起こした人が飲まされる少し塩辛い経口補水液にグルタミン酸ナトリウム(化学調味料ってやつだ)を混ぜたような、雨の後の渓流のようにわずかに白濁した、飲んでいるうちに喉が通過することを拒否し始める液体、それと紅茶、烏龍茶を、薄い緑色をした一升瓶から溢れ出すほどの量を、つい先ほどまで延々と飲み続けていた。
でも、その液体たちは腹を満たすこともなく、ちょうど水道の蛇口から出た水が何もせずに排水管の内側の壁を少しだけ綺麗にしながら下水道に流れていくように、僕の消化器官の内側の壁をちょっとだけ綺麗にして、排水管から下水道へと流れ込んでいったのだった。
便意のかわりに時々やってくるのは、車輪の付いた寝台に乗せられ、呼び掛けに一切反応しない痩せたタナカさんや(寝台を押す女性が「タナカさん」と声をかけていた)、少しふらつきながらトイレに入っていくちょっと太った人たちだけだ(みな厚着だったから太って見えただけかもしれない)。
トイレの隣の部屋からは、タナカさんに対して「足を伸ばしますよー」とか「腕を伸ばしますねー」と、3歳の子どもに話すように語りかける女性の声が聞こえてくる。
彼女が実際にやっていることは、膝や肘の関節を曲げたり戻したりしているのであって、腕や足を引っ張って長く伸ばしているわけではないだろう、そんなどうでもよいことを考えている僕の左腕の肘の内側には、穴が二つ開いている。
そのうち、ひとつの穴の上には、粘着剤の付いた透明な薄い膜状のプラスチックが貼られ、そこからシリコンゴム製の直径8ミリほどの管が伸びている。視線を少し上に向けると、シリコンゴムの管の途中に透明なプラスチックでできた小さな水琴窟に落ちる水滴が見える。ただ、その水琴窟はあまりに小さく、水滴はさらに小さいので、その響き渡るであろう鈴のような音色は、僕の耳に届くことはない。
例えば超小型の高性能なマイクロフォンをその水琴窟に貼り付ければ音を聞くことはできるかもしれないが、そもそもその装置は水琴窟ではなく、何という名前かも知らないのだ。
水琴窟の上には少し厚手のプラスチック製の袋があり、細長い金属製のパイプでできた、薄いシャツを4枚ほどしか掛けられない小さな車輪付き洋服掛けのようなものにぶら下がっている。
プラスチック製の袋には「僅かに甘い」という液体が500ミリリットル入っていて、シリコンゴム製の管を通して肘の内側の血管から直接体内へと注ぎ込まれている。「僅かに甘い」とはいえ、その液体は、肘の内側の穴から薄青白く見える静脈へ直接入り、舌の上を通過することはあり得ないので、その味を感じることもないのだけれど。
もう一つの穴は、小さな脱脂綿で覆われ、その脱脂綿は粘着剤のついた小さな帯状の紙で止められている。穴を開けられてからだいぶ時間が経っているから、その穴は既に穴としての機能はないだろう。穴としての機能のない穴とは既に穴ではないので、穴と呼ぶのもどうかと思うのだが。
「あら、ごめんなさい、上手く刺さらなかったみたい。なんか腫れてきちゃった」と、僕の履かされている後ろに穴の開いたパンツと同じ色をしたアシックスの上着を着たナカムラさんは、自分自身に語りかけるような感情のない声で、大きな蚊に刺された跡のようにわずかに膨らんだ肘の内側を見ながら言った。
「血管が茹ですぎたマカロニのように柔らかいので、針を刺すの、時々失敗されるんですよね」と僕は答える。
マカロニは肉厚だけど、僕の血管はゴム風船のように薄いはずだ、マカロニなんて例えはおかしいのではないかと僕は考え始めているが、ナカムラさんは僕の言ったことは全く耳に届いていないかのように、肘の内側に刺さった針をすばやく抜きながら
「しっかり血管は浮き出てるのにおかしいなぁ。今度はこっちに刺してみますね」とふたたび感情のない声で言いながら、彼女の背後にあるいくつもの箱が並んだ棚から箱を一つ選び、新しい針を取り出して穴をもう一つ開ける準備をするのだった。

痩せたタナカさんが車輪付きの寝台で前を通り過ぎ、5人の男女が目の前のトイレに出入りしたあと「タカザワさん、こちらへどうぞ」と、アシックス製の白い上着を着て白いズボンを履き、白いマスクをしたサノさんに声をかけられる(そう、僕に後ろに穴の空いた「ぐんじょういろ」のパンツの履き方を教えてくれた、あのサノさんだ)。
アシックスってこんな服も作ってるんだ、と思いながら、洋服掛けのような細い金属製のパイプを右手で押すように転がし、妙に奥行きのある広いエレベーターに乗せられる。サノさんがドアの右横にある階数ボタンを押し、僕は、ストレッチャーという車輪付きのベッドを乗せるため、こんなに奥行きがあるんだと考えながら、天井と扉の間を見つめている。階数ボタンの上に大きめに表示されている赤みがかかった黄色の数字が「3」になり、ゆっくりと扉が開く。
人の姿はあるのに人の気配がまったく感じられない灰色の人工の光に満たされた廊下。地上3階だというのに地下3階のような強い圧迫感のある廊下を少し歩き、角を2度曲がった先にある長椅子に案内された。この椅子は地下3階の一番奥にある、油の匂いが漂う機械室の前の休憩用の椅子のようだ。わずかに聞こえてくる機械の音を聞きながら、油の匂いを鼻腔に感じながらずっと座っていても、誰もやって来ない椅子。
今、背にしている壁の向こうは、様々な機械が置いてある部屋だから、後ろの部屋も「機械室」と言ってもいいのかもしれないのだが、機械の音は聞こえてこないし、油の匂いも漂ってこない。その代わりに消毒薬の匂いが漂っているが、この匂いはこの建物のどこでも漂っているものだ。
もしこの長椅子が地下の機械室の前の椅子と同じような存在だとしたら、ここに人は誰も来ないのかもしれないな、そんなことを思いながら、僕は雑誌が平積みされた棚から、一番上にあった1年も前の週刊誌を1冊摘まみ上げる。
全てのページが現実に対する憶測と推測とテレビドラマに対する憶測と推測。ほとんどの憶測と推測は、現実にならないまま、今に至っている。虚構だ。こんな虚構に紙とインクをたくさん消費する必要があるのだろうか。こんなことなら史実を元に書かれた、事実を虚構として書いている読みかけの小説を持ってくるのだった。ただその小説は史実を元にしているのだから、この週刊誌ほど虚構ではないのかもしれない。
ページの中、少しだけ文字が大きくなっている見出しだけを読みながら、鉄のステープルの見えるページを通り過ぎた頃、長椅子の横の扉が開き、赤いぶどう酒のような色をした上着を着た女性に声をかけられ、僕は部屋に招き入れられた。この人の着ている上着もアシックスなんだろうか。

ベッドと言うよりは、今まで座っていた長椅子の幅を2倍したくらいに広げたような、椅子ともベッドとも言い難いものに僕は寝かされる。
仰向けに寝てすぐに、横を向くように促される。薄暗い部屋とは対照的な、笑顔で明るい声の先ほど僕を室内に案内してくれた女性が僕に声をかけながら何かをしている気配を感じる。一瞬、尻が冷やっとした。例のパンツの穴から素早く手を入れられたらしい。
部屋の薄暗さと同じくらい陰鬱な表情で白衣を着た無口な30代の男性が、僕の背中側に立ち、20年くらい前に売り出されたものの、ほとんど売れなかったゲーム機のコントローラーのようなものを弄び始める。
痛みとも不快感とも言えない感覚が下腹部で1分ほど飛び回ったあと、僕のお腹は、まるで深夜のショッピングモールのように空虚になった。
例えば冷蔵庫に逆さに入れた残り少ないケチャップのチューブ。最後に少し残った濃縮されたトマトは、どう足掻いても絞り出すことはできなくて、結局チューブを包丁で切り開いてフライドポテトに付けて食べることになるわけだが、僕のお腹の中に最後に残った薄茶色の液体は(たぶん最後に飲んだ烏龍茶の色だ)、切り裂かれることなく、ストローでコップの底に残った僅かなジュースを飲むように、細い管を使い音を立てて吸い取られたのだった。
ベッドの上で膝を曲げて横向きに寝ている僕の視界の下の方に大きな液晶画面が見えている。画面にはつやつやとした薄い桃色をして緩やかな凹凸のある柔らかそうな筒の内側が映し出されている。
自分の身体の内面が画面に映し出されているのだが、そのことについて大した感動もない。所有者不明の薄い桃色の柔らかそうな筒の内側が画面に映っている、そんな感じだが、実際は自分の内面なのだ。
北の果てで見るアゴヒゲアザラシの濡れた柔らかい筒には、少しだけ水に戻した切干大根のようなサナダムシが、元は魚や海老、貝であったであろう物体とともに、黄色味を帯びた雑炊のようになって詰まっているが、画面にサナダムシの姿はない。
アゴヒゲアザラシのことを考えながら、画面を見ていると、自分の腹が本当に「空(から)」になり、自身の「空腹」が自分の目に見えていることに気がついた。
本来「空腹」は脳が感じるものであり、目に見えるものではないのだが、今、僕の目には、自分自身の「空腹」が見えているのだ。空腹とは空虚なんだと、その瞬間だけは当たり前に思えるようなことを考えていた。
視線を上にずらすと心臓は1秒間に2回も血液を送り出していると、黒い小型の液晶画面に示されている。先程、水琴窟を見る直前に確認したときは、1秒に1回程度だったのだ。ただし、その押し出す圧力は信じられないくらい弱々しく、今まで見たことのない2桁の数字が見えている。空腹すぎて、空虚すぎて、力が出ないのだろうか。
薄桃色の空虚を確認されるだけで弱々しくも1秒に2回も血液が送り出されているのだから、例えば昔、アイドルをしていた頃の三田寛子か川上麻衣子がビキニで現れてハグをしてくれる、なんてことになったなら(三田寛子のビキニ写真を見た記憶はないけれど)、心臓は1秒間に5回くらい拍動を始め、かつて無いほどの圧力で血液を送り出し始めるだろう。そして数秒後に血液は鼻腔内の粘膜を突き破り、鼻血が噴き出すに違いない。ほっぺたにキスなんてされた日には、僕の心臓は、完全に動くことを止めるかもしれない。

液晶画面に映し出された薄桃色の空虚、あるいは空腹を見たあと、僕は生まれて初めて、少し大きめの車輪の付いた椅子に座らせられ、人はいるのに人の気配のない灰色の人工光の廊下に押し出された。
広いエレベーターに乗りこみながら「晩ご飯は普通に食べても良いのですか?」と、後ろに立って椅子の上部にある握りを掴んでいるサノさんに尋ねる。
「今、腸の中には何も入っていないので、脂っこいものは避けた方が良いですね」サノさんが優しく穏やかな声で答える。
エレベーターの扉が開き、椅子が押し出されると、そこは僅かに赤みを帯び、かつ青みがかった明るい光に満たされていた。
僕はたくさんの視線を感じたような気がしたけれど、たぶんそれはただの思い込みで、多くの人たちは斜め前の床とも空気ともつかないところを見ているだけで、たまたま顔を動かしたときに、視線が一瞬、僕の顔を通過しただけなのだ。
カーテンで細長く区切られ、もしかしたらこれは長椅子ではないだろうかと思うくらい幅の狭いベッドが並ぶ部屋に通された僕は、何時間も椅子に深く腰掛けていた人のように(その車輪付きの椅子に座っていたのは、せいぜい5分くらいだ)、ゆっくりと時間をかけて椅子から立ち上がり、象のようにゆっくりとベッドへと移る。
「こちらで30分ほど休んでくださいね。何かあったら、そこのボタンを押せばすぐに来ますから」
そう言って白いアシックスの上着を着たサノさんは、マイケル・ジャクソンが猫になってギタリストとドラマーの間を巧みにすり抜けて舞台袖に去って行くように、荷物や道具の間を抜けて部屋を出て行った。

「ポテトチップスが食べたいな」
僕の脳は、唐突に空腹に気がつき、普段あまり考えたこともない、薄切りのジャガイモを揚げたもののことを考え始めたが、サノさんが脂っこいものを食べるな、と言っていたことを即座に思い出す。

「ポテトチップスはそんなに油っこくないよな」 
「たぶんね」
と僕は自分自身に言い聞かせながら、道路を挟んだ向こう側にあった黄色っぽい24時間閉まる事のない店のことを考えている。
あそこでポテトチップスを買って、バス停でバスを待つ間に食べるんだ。
いや、次のバス停までポテトチップスを食べながら歩こうか。
表面に無数についた小さな塩の結晶のこと、歯で砕かれ、唾液と混ざって復活するジャガイモの味。
僕の脳はジャガイモでできている。
先ほど、そのジャガイモの一部が流失してしまったのだ。
早くあのジャガイモの薄片を揚げて塩をまぶしたものを補充しないと。

0 件のコメント:

コメントを投稿